まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

私の履歴書

 こんにちは山本宏文です。

日経朝刊の「私の履歴書」というコラムを読むことが毎日の楽しみです。

ある日ふと思いました。自分もこのコラムを書いてみたいなあと。

そこで、ググってみたところ、このコラムは1365文字で30回で完結というルールであるここが判明。

ということで、私の「私の履歴書」は約1365文字で約30回(そんなに続かないと思うが)でゆるゆると始めることとしました。またお付き合いのほどよろしくです。

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私の履歴書 第1章ボク音楽を創り続けているワケ

音楽との出会い

小学校期 低学年…ヤマハの音楽教室(オルガン)卒業後ピアノに挑戦するも挫折

中学年…ボーイソプラノを買われ、合唱の特別クラブ?市の音楽会に出場県立音楽堂で歌う。

高学年…サッカーにのめりこみ音楽は特に活動無し。

中学校期 

サッカー部引退後、ギターを手に入れ友人宅で練習に励む。

文化祭でコンサートをやろうということになり、先生に交渉。

物置のプレハブに机でステージを作り弾き語り?を披露したような記憶がある。

深夜放送やディスクジョッキーを聞きまくる。世の中にフォークソングブームが起こっていた。

高等学校期 

入学したら即サッカー部に入るつもりでいた。入学式後の新入生歓迎会でステージ上で歌う「軽音楽同好会」

(先輩が郊外で不祥事を起こしたことから部から降格させられて同好会だったと聞いている。)

の先輩方の姿に感動して即入部。

世の中の音楽シーンはフォークからニューミュージックへ。

そんな中自分はモダンフォークにあこがれ、グループを組もうとしていた。

しかし、同期が3人しかいなかったことや、他のメンバーがニューミュージック系の嗜好だった。

そのころちょうど世に出たNSPのコピーグループ「御祭風」(ごさい)を結成。

ギターがあまりうまくなかったので、ベースを担当することになる。

譜面が手に入らないためすべて耳コピで練習していた。

名曲「さよなら」を最初にコピーした。

音楽と麻雀にまみれた3年間だった。

卒業後半年ほど活動してOBが開催していたコンサートに出演したりもした。

ボーイスカウトと歌(10歳~18歳まで) 

ボーイスカウト横浜第24団でカブスカウト、ボーイスカウト、シニアスカウトと約10年間所属。

集会は歌に始まり歌に終わる。

伴奏無しで所かまわず歌い踊る。

カーキ色の制服に身を包み「おまえら自衛隊か?」って。

歌って踊る軍隊?どんな場所どんな状態でも歌える力が育成される。

浪人期 

一切の欲望を断ち学業に邁進。

大学期 

 「考古学」を学べるならどこの大学でもよかった、早期の受験機会があった駒澤大学の地方試験に合格。

そこで、他の大学を一切受験する気がなくなり、浪人したにもかかわらず、1校受験で終了。

入学式当日に発掘現場へ連れていかれ、あまりの重労働にその日のうちに逃げるようにして帰った。

そこはこの後4年間通うことになる群馬大田。東武特急「りょうもう」で通った。

その後、考古学にのめり込み年間200日現場作業という4年間を過ごす。

音楽といえばコンパで歌うそれぞれの出身校の校歌。

そのなかで大ヒットを飛ばしたのは「瀬谷高校校歌」。

研究会内で大ヒットしコンパで歌わない日はないほどであった。いまでもフルコーラス歌える。

就職浪人期 

大学では中高の社会科免許しか取れず、就職も中・高の社会科は高倍率で受かりそうもない。

そこで、倍率の比較的低い小学校をターゲットにした。通信教育免許を取得することに。

明星大学と玉川大学の願書を取り寄せて比較検討したところ玉川大学の方が難しそうだった。

どうせ勉強するなら取るなら難しい方が将来のためになるだろうと、玉川大学を選択した。

改めて考えると、この選択が現在の音楽活動の原点となった。

第一回終了

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