まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

音楽スタジオ付きの家をつくる その2

 こんにちは 山本宏文です。

 前回の続編です。

運命の日から事態は急展開を見せます。

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「設計にはどのくらいの期間が必要なんですか?」
「まあ、一年もあればいいものができますよ。」
これが最初の質問と答え。
「家は引き算で作りましょう」
最初の話し合いで印象に残った一言。
「子どもがいるので設計の打ち合わせは自宅でお願いしたいんです。」
「子ども達に夕飯を食べさせた後でお願いしたいのですが。」
ということで設計が始まった。
「なんでもいいですからどんな家を作りたいのか全部言ってください。」
って言われたひには喋り出したらもう止まらない。打ち合わせはいつも曜日またぎ。
この人いつ寝てるんだろう?と心配になったが、この時間が本当に楽しかった。

最初の打ち合わせの2週間後100分の1の設計図面が目の前に現れた。
しかし、すでにもう二人のプランはバージョンUPしていて。図面を見るなり「やっぱりここはこうでこうしたい」となる。

これが延々続く。仕上げてきた図面の家は見事に壊(変更)されていく。
20軒ほど家を壊した(図面上の)時、怖くなってなって尋ねた。
「ねえ、怒ってない?」って
「いや、これが仕事ですから。」とさらりと言われたので安心した。


 本契約を結ぶまでは設計士さんに報酬は入らない。設計料は見積もりの10から12%が相場だという。
本契約は1995年9月24日であった
ラジオの一件から3ヶ月が経っていた。

プランが煮詰まってくると100分の1図面が50分の1図面に昇格する。
この時点ではスタジオは半地下で3層の家となっていた。夢が溢れんばかりのてんこ盛り住宅だった。模型まで作られていた。
「じゃあこの辺で実施設計として見積もりをとってみましょう。」
5000万円に届こうかという金額が出た。まあ当然ではある。全て足した訳だから。愕然とする二人を尻目に
「ここからが引き算です。金額は引きますけど、夢の引き算はしませんから。」
こともなげに言い放つのであった。この言葉にはぐっときた。
 
 半地下のスタジオから一階のスタジオへ子供部屋をダウンサイズして三層部分を2階に集約。最後まで悩んだのは階段の位置。リビングから子供達が外から帰ってきた様子がわかるような動線を選び、階段を外側に回した。規模が縮小されたり、機材が変わったり(このへんの事情は今後部屋ごとに記そうと思う)しながら設計図が完成したのは本契約から一年の月日が流れていた。

「木造建築でできないことはないですよ」の言葉は本当だったし、まる一年かけて理想の家を探求した。
 

 設計の最中に
 「大工さんが問題なんだよね。腕のいい工務店じゃないと設計図通りに造ってもらえないんだよ。設計図の読める大工さんて少ないんだよね。」
 知り合いが、家を建てるときに大工さんにクレームつけたら、家を燃やしちまうぞなどと脅かされたいう話もきいていた。
 追浜の「松沢建築」に白羽の矢が立った。

なんと、職人さんのうち三人が棟梁の息子という工務店だった。

長男曰く「物心ついたら知らないうちに腰に工具ベルトが巻かれてた。」

息子だから棟梁の怒り方が半端じゃない。
「おめんとこはいい大工を使ってんな。」「棟梁が怒鳴り暮らしてやがる」「まあ仕事見りゃあすぐわかるだよ」って近所のお父さんに言われた。
1996年9月22日に松沢建築と工事請負契約結ぶ。

その2はここまで。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

コメント

  1. 三澤護

    2021年7月 2日 (金) 17:42

    私も覚えてることと 忘れてることももありますが、楽しい時間で会った事は確かです。
    ついつい私は建て主の夢に乗ってしまい膨らんでしまいます。
    本当は設計者として、ここは出来ませんというべきかもしれません。いつも自問自答することがおおいですが、私としては設計時希望を全て話してもらって例えそれが実現しない事があっても近いところまではいきたいと思います。
    そうすれば、出来上がった時の満足度も違うと思います。
    設計は夢を形にするものだから・・・

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