まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

自分の役割についての一考察 続き

こんにちは山本宏文です。

つづきです。

 現在は何と教育現場で仕事をしています。
テストを作らない、成績をつけないで生徒に関われる「学習支援員」なる仕事です。
コロナ禍で学校を人的に支援する政策が行われていて、退職した教員を募集していたのは知っていたのですが、自分のペースで仕事ができるかどうかわからなかったので、登録すらしていませんでした。支援バスの仕事で教育委員会への不信感もありました。

 「サポートティーチャー」なる仕事がある小学校だったら算数支援が業務内容だよ。と妻に教えてもらい、Y市教育委員会にエントリーしてみたところ、今までの採用と違って県からの予算で会計年度内任用職員の枠ができそうだという話で、小学校のはずだったのに中学校で働くこととなりました。支援員ではなく「学習指導員」の肩書。働き方も半日という制限もなく週24コマ以内だったらいつ働いても良いとのことだったので週3日の勤務とさせてもらいました。
 
 仕事の内容は当初授業でのTT指導、そして、希望者による放課後学習の指導でした。これは「支援員」の業務内容。それに、取り出し授業が加わって3年生の数学と英語の取り出し授業を業務とされたのです。「もと社会科」の教員に3年生の英語と数学を教えさせるなんて無謀なとも思ったのですが、3年生の数学の授業にTTで入った時に内容が全く分からず、先生が何を言っているのか1ミリも理解できなかったのです。そうか、取り出しを希望している生徒は毎時間こんな思いで授業を受けているんだということがわかり、この件に関しては共感できるところがあるし、何がわからないかぐらいは一緒にさぐれると思いやってみました。
 
 受験まであと3ヶ月。まず、将来の夢から話してもらい、進学希望学校、そこで何をやりたいのかを教えてもらいました。専門学校や専門高校に進もうとしている生徒に関しては、その学校に合格するためにはどういうことをすればいいか、というかその学校を選択した時点でほぼ合格間違いなし(競争倍率が1倍ない学校がほとんどであるので)なのですが、一点でも多く取るための方法を一緒に考えました。
 
 普通高校に進もうとしている生徒は共通試験をやらないクリエイティブスクールへの進学希望が多い。「高校へ行ってもう一度中学校の勉強をやり直したい」と言った生徒がいました。確かにクリエイティブスクールのキャッチフレーズにその文言があります。しかし、その後どうするのだろう?そして、そこが受からなかったら定時制を受けるという流れも見える。高校へ行くことが目的となってしまっているかのように見受けられた。

 流石に英語に関しては3年生の英語科の先生に相談しました。そして、2年生の構文についてドリルをするのが効果的だというお話をいただいて、徹底的に書かせる指導をしてみました。「君たちは英語に触れる時間が短すぎたんだから、これから一日2時間は(学校の授業も含めて)英語に触れる時間を作るべきだ」などど尤もらしいことを言いながら。苦手な勉強は後回しになってしまうのはわかっているけどそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。などと言っていました。

 数学は根が深い、どこがわからないのか「時を戻す」必要があります。大体、計算力が十分に身に付いていないということに行き着くのですが。まあ受験に関して言えば、数学で25点〜30点目指そうというところからじゃ何をすればいいの?1番と2番の計算問題でしょ。という結論を導き出し、そこを集中的にドリルしました。聞くと塾も同じ指導をしていました。
 2月に入り3年生の取り出しの授業が突然なくなってしまいました。学年にとっても支援担当にとっても初めての?ことで手探りで進めていたのはわかるのですが。お別れがちゃんとできなかったのが残念でした。
 しかし、何となく自分のキャリアが役に立っているような感覚を覚えたことも確かであります。

 この中学校は教室に入れない生徒たちにも手厚い。この生徒たちが登校する教室が用意されていて、専任の元教員(校長)が月から木まで常駐しているのです。そして、金曜日は先生方が順番で「相談室」指導に来る事になっていました。そんな中、金曜日の「相談室」午前中在室の業務を託された。専任の先生にその業務内容をお聞きしたところ、「生徒たちは好きな時間に来て好きな時間に帰るからいてくれればいい」とのこと。3年生の男子はサポート校というか通信制高等学校への進学が決まっていて、9時前に登校して10時30分には下校という日課としているようでした。屋久島でのスクーリングを楽しみにしていると話してくれました。常時10名ぐらいの生徒が「相談室」に登校しておもいおもいに1日を過ごし帰っていく。勉強したい子は勉強をし、横でトランプに興じている生徒、一生懸命イラスト(マンガ)を書いている生徒、専任の先生が学習指導している場面もある。驚いたのは畑で作物を作っていることです。それも農家顔負けの立派なキャベツ、大根、ブロッコリー、などなど。これは、公立中学校内フリースクールといえると思いました。

 そして、今年になってから1年生の取り出し授業が私の業務に加わりました。数学難民のサポート。最初は早く通常授業に戻れるようにと考えていたのですが、例によって「時を戻す」作業をしていったところ、4名中4名が「分数」が未習得である事実に行き着きました。それも小学4年生の内容が未習得なのです。そんな生徒が因数分解なんて理解できるはずがないですよね。クラスの授業では超難民状態です。数学の教員だってそこまで遡って授業中の指導は無理。この子達はいつかみんなに追いつく事はできるのだろうか?これとてかなりの難題です。その上、隠れ難民がかなり存在しているとも思われます。これはもう自分一人の努力では限界が見えています。構造的な支援策が必要であると思いました。数学に関しては入学時に習熟度を調査して集中的にケアしていくこと。時間がたてばたつほどリカバリーが難しくなるわけです。夏休み、いや5月の連休前までが勝負だと思います。その際にはたぶん、分数と計算力が課題となることでしょう。

 こう書いてみると確かにこの「学習指導員」という仕事は自分のキャリアが大いに発揮できる内容です。

 3校種+特別支援の経験はだてじゃない。

 そうそう、TTの業務で9組(支援級)へも行かせてもらってます。
とりあえず、退職から現在の仕事における自分の役割を振り返ることができました。

社会に対しての自分の役割は仕事を通して行われている部分がほとんどです。

 仕事以外では強いて言えば音楽活動かな?音楽を作って世の中に提供する?ことを30年続けています。

 実は、仕事に関して言えば「事業をおこして社会のために役立ちたい」という願望もあるのです。
これについては 改めて書きたいと思います。

PS.この文章を書いてからまた自分の役割が変わりました。何と神奈川県埋蔵文化財センターの非常勤職員に採用が決まり、4月1日から働き始めました。発掘された資料を県民に伝えるという仕事です。実は40年前にバイトをしていたその場所に戻ったのであります。自分の原点である考古学の世界に舞い戻ることができました。
いつか帰って来ようと思っていた場所でもあります。

教育関係の話は長くなりがちです。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。

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