まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

自分の役割についての一考察

こんにちは山本宏文です。

自分の役割を
家族に対しての自分の役割
仕事に対しての自分の役割
社会に対しての自分の役割
にわけて考えてみました。

家族は変化し続けています。


現在は、自分の母親、配偶者、三人の子供たちで構成されています。
これだけではなく自分につながるご先祖様も家族と考えて自分の役割を考えなくてはいけないと思います。
ご先祖さまに関して言えば自分の役割は長男として山本家の墓を守ることにあります。
父から引き継いだ寺の檀家総代としてお寺に関わる役割があります。
家にある仏壇の管理も役割になる。神棚を守ることも同様です。
母は今年で89歳になります。自分の役割は共に時を過ごすことしかできないが、それでいいと思っています。
三人の子供に関しては子育ての役割は終了し、今はただただ見守ることが役割になりました。
配偶者についてはお互いにストレスのないようできないことを補いながら楽しく過ごすことが私の役割です。
家事については掃除、洗濯、情報機器等の整備、メインテナンスは40年来、私の役割です。

仕事に関しての自分の役割は定年後大きく変化しました。

自分は学校という場にいて公務員としての立場でその役割を演じて?きました。
「テストはもう作りたくないし、成績もつけたくない。」と思っていた私は、定年とともに違う職場を目指しました。

 バスの運転手という職を得るために教習所に通い大型二種免許を取得し、旅行ツアーを自分で作って売るために国内旅行管理者の資格を取得して次の役割に備えました。

そして、最初についた職がレンタカーの運転手でした。
ビジネス客を乗せて貸し切りタクシーのような仕事。ここで大型二種免許が役に立ちました。しかし、不定期な仕事で声がかからなければ仕事ができないのであります。
社会的な役割とすれば、人を安全に目的地まで送り届けるということになるでしょうか。

次に選んだ仕事は、バス関係の仕事。
しかし、運転手ではなく「車掌さん」でした。
横浜市の特別支援学校に通う児童生徒のための送迎バスに乗り、停留所(家から一番近い安全にバスが止められる場所)での車椅子の乗降を二人で行います。
学校で先生に受け渡し、放課後まで現地で待機して帰路の乗降をまた行い、車庫に帰って終了となります。
並木にあるバス会社に介助員として雇われました。運転の機会はありませんでした。
役割は児童生徒を楽しく安全に輸送することでした。

その次に選んだ仕事は音楽関係。 
横浜みなとみらいホールの受付スタッフというしごとです。
コロナ禍の中、願書提出から採用試験まで3ヶ月余りを要しました。
三人の集団面接を受けさせられてびっくりしたのですが、見事合格。
採用者曰く、学校の先生を採用したのは初めて、だそうです。
そこでは、スタッフさんの手伝いに終始しました。
自分としては音楽に関わっているというだけで満足でした。
職員の仕事の隙間を埋めることが自分の役割だと思っていました。

長くなりましたのでこの辺までにします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きは次回ということで…。

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