まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

山本宏文という人間

みなさんこんにちは。山本宏文です。


自分にはあからさまに言える「師」と呼べる人物がいない。しかし、自分の人生で大きな影響を与えたひと=師として自己紹介にチャレンジ。

自分の内面をカテゴリーしてその分野で自分に大きな影響を与えた人物をあげて自分の中にある「師」を探ってみることにした。

音楽・・・吉田拓郎
考古学・・・特になし
歴史一般(近代史)・・・司馬遼太郎
パソコン・・・スティーブンジョブズ
教職・・・小原国芳
レクリエーション・・・和田芳治
料理・・・周富徳
思想・・・内田樹

まずは音楽から
中学時代に吉田拓郎を見て、即効ギターを手に入れて歌いまくった。文化祭でコンサートをやった。高校時代も軽音楽同好会で3人でNSPのコピーバンドを組み演奏活動。社会人になってからもげんきDoでオリジナルにこだわってバンド活動を現在も続けている。自宅に練習スタジオも作った。自分と音楽との絆を深めてくれた恩人。

考古学・・・特になし
この分野に関しては小学校4年から自分で切り開き、大学で専攻学科として主として遺跡調査の方法を学んだ。師事した教授は倉田芳郎氏。

パソコン・・・スティーブン ジョブズ
マッキントッシュのハイパーカードに衝撃をうけ、教材屋さんから一体型のSE30を一年間借りてお弁当作りのソフトを開発した。40年前30万円でハード(LCというディスプレーと本体がセパレートになった)を手に入れた。以降マック伝道師として人生を歩んでいる? 時代の先を見る姿勢を身につけさせてもらった。

教職・・・小原国芳(おばらくによし)
 玉川大学の通信教育課程を受講したのがきっかけ。先生の生前の様子をテレビニュースで見たのを覚えている。点滴のチューブをつけながら教壇に立つ姿だった。その時は自分が彼の創った玉川の丘に立つなんて夢にも思っていなかった。しかし、就職浪人開始時に通信教育で小学校の資格を取ろうと二つの学校の願書を取り寄せた。比べたら玉川のほうが大変そうだった。どうせ行くなら大変そうなほうが自分の身になるんじゃないかと玉川大学を選択した。そして、スクーリング。校門にある校訓玉川モットー「人生の最も苦しい、いやな、つらい、損な場面を真っ先に微笑みを以て担当せよ」に心を奪われた。以降国芳フリークとなり、写真集、色紙、レコードまで売店で買いあさった。すべての面で、自分が教師としていつでも帰れる場所(行き詰った時に原点回帰できる)を持つことができた。全人教育論は時代を超えて生き続けている。

レクリエーション・・・和田芳治(わだよしはる)
「歌は誰にでも作れます。」というメッセージとともに横浜にやってきた。当時はレクレーション活動は指導者の資格を取って地域や学校でレクリーダーとして活躍することを第一義としていた(ように自分には見えた)。講習会に参加してリーダーからレク材を伝授してもらい自分の職場や組織、集会で指導者として活動していく。という流れに自分はあまり必要感を感じなかった。それは、小学校4年からボーイスカウト活動をしていたこともあったからだと思う。そんなレクリエーション業界に殴り込みをかけて広島総領町で独自カリキュラムのレクリーダー講習会というか人間修行の場を立ち上げ、日本一過疎の町「総領」をキャッチフレーズに過疎を逆手に取る会などのムーブメントを起こした。晩年は自宅を「なごみ亭」と名付け奥様とともに里山料理がいただける宿を立ち上げ、全国規模の里山再生の拠点的存在であった。
 いま改めて考えると、自分の人生(30歳以降)の節目に必ず登場する人物であった。歌を創り始めたとき、歌声広場からバンド活動にシフトしたとき、退職後の方向性を模索していた時、この「総領の甚六」こと和田芳治氏がいた。と自分が勝手に思っているだけなんだが、彼が亡くなったという知らせを受けた時迷わず会いに行こうと決めたことを周りの友人たちは不思議に思った。自分も何故?って思った。別に横浜を代表して行った訳では全くなく、自分の内なる欲求に従っただけの事なんだけどやっぱり意味はあった。その景色を脳裏に刻み込むことができ、いつでもきっかけがあれば目に浮かぶのである。彼が最後に残していった唄「江の川源流物語」歌詞のそこここに唄われている景色が見えるのである。この歌を大切に歌い継いでいこうと思う。最後のメッセージは「いのちは切れても 想いのリレーは永遠」

料理・・・周富徳(しゅうとみとく)
25年前、長女が生まれた時に3か月ほど育児休業を取得した。イクメンの先駆けである。朝ご飯を食べさせ、おむつを替え、プルーンジュースを哺乳瓶にいれ、いざお散歩へ。帰宅後お昼を食べ、お昼寝タイム。テレビを見ながら洗濯物をたたんでいるときに必ず登場していたのが周富徳さんだった。もちろん料理番組。当時、家でできる簡単本格中華が流行っていて、キャラの立つ料理人として引っ張りだこであった。作り方を見ると作ってみたくなる。そこで、早速、中華街に行き道具一式をそろえた。男の料理はまず道具からという定説通りに。レシピ本を買って書いてある通りの食材を用意して調理する。家族に食べてもらって評判がいいとさらに次っと調子に乗って気づいたら「中華はあなたの分野ね」と指名を受けてしまった。我が家の中華料理は周富徳さんのレシピです。

思想・・・内田樹(うちだたつる)
 この方の本はほとんど全て読んでいる。自分との共感度が最も高い人である。ブログを始めようと思ったのも彼の影響である。彼の出す本はそのブログに書かれたテキストを再編したものが多い。手当たり次第ブログに書き散らして置いて、しばらくしたらテーマに沿ってまとめる。といった手法。この人を知ったのがたまたま本屋で見つけた「先生はえらい」(ちくまプリマー新書ー中学生を対象に書かれた新書シリーズ)って、こんな能天気な事を言っている人がいるんだと思って「はじめに」と「おわりに」を読みました(本を選ぶ時に必ずします)。即買いしてしました。それ以来のお付き合い(一方的な)です。「内田樹」さんについてはまだまだ伝えたいことがいっぱいあるので…。

歴史一般(近代史)…司馬遼太郎
 「司馬史観」がかなり注入さてしまい、脳内の明治維新項目を現在修正中です。この件についてもおいおい書いていきます。

今日も長々と書いてしまいました。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
次回は新型コロナ対策ー学校編ーです。

コメント

  1. akko

    2020年4月24日 (金) 00:43

    始まったね!
    快調な滑り出し!楽しみにしています!

  2. マック

    2020年4月24日 (金) 05:24

    すばらしい!
    f今年2月に、fbでほぼ毎日のように「ぶらたまちょ」を投稿してくれたのを楽しみにしていました。

    「見た物を写真に撮り一言添えて投稿する」
    「このスタイルなら、私にもできるかもしれない」
    「触発された。私も真似して始めようかなと思っていました。
    私は、fb投稿する文はどうしても長くなるため、結局、日付だけ書いて終わっていたのです。
    後、半月あのペースで投稿してくれていたら踏み切れたかもと思うのですが、それはそれは自分の問題です。
    今回は、たまちょが決して長文が書けない訳ではなく、研究論文を書ける能力の持ち主だと知らしめました。
    ただ、webへのアクセスは時間がどんどん足りなくなっていて、もう私は投稿したことをLINEで教えてもらわないと気づかないで過ごしてしまいそうです。
    今回のように、私も参加しているLINEグループにでも紹介してくださればうれしいです。
    楽しみにしています。

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