まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

blog開設にあたって 山本宏文

みなさんこんにちは。山本宏文です。

この度、ブログを立ち上げることにしました。ブログ名の「文屋万望」について説明します。

読み方は「ぶんやまんぼう」です。この4文字は「文屋」と「万望」の合成です。べつに有職故実や格言の4文字熟語ではありません。個人事業主となるにあたって付けた屋号です。

「文屋」について

 私の名前「宏文」はこの文屋から付けたと父が言っていました。確かにお墓の基壇部に丸の中に「文」の一文字が刻まれています。

父はこれが屋号だと。私の祖母は近所の家を苗字ではなく「げたや」とか「ろうそくや」とか呼んでいました。ちなみに目の前の家は「おすもうさん」。そんな中で山本家は「ぶんさん」とか「ぶんやさん」と呼ばれていたそうです。祖母がよくしてくれた話では、祖母が嫁いできた山本家の主人は仙台出身の商人で江戸付近で一旗あげようと懐に一握りの金を携えて、ここ(現在の横浜市金沢区洲崎町)にたどり着いたそうです。当時(江戸から明治にかけて)我が家は旅籠を営んでいたようで、東屋という高級料亭旅館(伊藤博文が明治憲法を起草するのに宿泊していた)の裏手にある商人宿でした。仙台から出てきてこれからという時に病気にかかり伏せってしまったところを旅籠の娘が必死に看病をしているうちにいい仲になってしまい、当時女系家族であった山本家に養子に入ったということで、持っていた一握りの金で商売を始めたのかとおもいきや、後から弟が仙台からやってきてその人が放蕩して全部使ってしまった。あの金さえあれば。という一言で必ずこの話は終わるのですが。私から数えると曽祖父の仙台での名字が「文屋」だったのです。これを私の代で復活させました。

「万望」について

 30年前。バンド活動を始めました。「げんきDo」というネーミングとともにバンドのキャラクターとして「まんぼう」(あのユニークな形のお魚)と決めたところからのお付き合い?です。20年前にスタジオ付きの家を建築家(建楽設計事務所:三澤護氏)とともに設計していた折に駐車場のブロック塀が経年劣化してそれなりの色になっているけど、取り壊して再構築する予算的な余裕がないので人々の目を逸らすようなオブジェを真ん中に置きましょうあの「まんぼう」がいい。ということで設計図の中に書き込まれました。もちろん作るのは大工さんです。その甲斐あって?今では近所の子供たちが「あ!まんぼうだ」と言って通り過ぎ、友達はマンボウの家とかマンボウハウスと言ってくれるようになりました。私はそのまんぼうを神格化させて、万の望みを叶えてくれるありがたい御神体として「万望」の字を充てました。

ということで長くなりました。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

次回は私山本宏文を分析、紹介したいと思います。

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