まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

「かねさは」って金沢?

「かねさは」の呼称について

 自分が住んでいる場所の呼称について現在では「横浜市金沢区」とされています。現在この地域を表す言葉として、横浜金沢(横濱金澤)が使われるようになりました。これは、石川県の金沢と区別するための方便と聞いています。私はこのことについて意義を申し立て、「かねさは」の名称を使うことを提案します。

 金沢区が発足して地域名を「金沢」と呼ぶようになったのは、今から約70年前のことです。古くは武蔵国倉城郡(後の久良岐郡)六浦荘という荘園が設置され、国衙(こくが)や郡衙の支配を受けない私有地でした。古代地域名称としては六浦・金沢(かねさわ)・釜利谷・富岡の四郷が知られています。鎌倉時代には六浦湊、釜利谷、金沢の地名がみられ、江戸期には、富岡・六浦・金沢がそれぞれ旗本領・藩・天領に分かれていて、天領の金沢地域は洲崎村・野島浦・泥亀新田村・町屋村・柴村でありました。江戸後期には浮世絵とともに「金沢八景」の呼称が広く定着しました。

「かねさは」の呼称について関靖氏は著書「かねさは物語」の中で、「最も古い文献では『かねさは』の文字がつかわれている」と記述しています。書名にも「かねさは物語」と題しています。ここでは「古称」として「かねさは」が採用されているのですが、この「かねさは」を地域文化呼称(というのがあるかどうか)として使用することについて述べてみたいと思います。

 「かねさは」=金沢区ではないのです。

Photo

 北緯35.38度から北緯35.32度間 東経139.66度から139.58度が「かねさは」です。右図に示した地形図が範囲を表しています。

 北限の目印としては洋光台金山神社。南限は相模国と武蔵国の国境。東は東京湾上。西は瀬上池あたりになります。現在の行政区画では北は港南区洋光台、南は金沢区と横須賀市の堺、西は栄区上郷町こちらも相模国と武蔵国の国境となります。東は東京湾ですが、夏島を入れて設定しました。

 

 

 

 

 

 

 
 

図1 「かねさは」範囲

(明治39年発行の地形図)

 

 

 次回「かねさは」=産鉄地につづく

 

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