まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

鎌倉幕府は産鉄民が作った!?ーその1-

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鎌倉幕府は源頼朝が開いた武家による初の武家政権である。

武家政権ということは今でいえば軍事政権となる。

軍事政権での権力の源は他を圧する軍事力であることは自明の理である。

それでは、鎌倉幕府いや、石橋山の戦い時点での頼朝の軍事力はいかほどだったのであろうか?この点についての論考はあまり見たことがない。

石橋山の敗戦後、房総へ渡り東京湾を一周して鎌倉に入った時には万人の坂東武士が後をついてきたなどということが本当にあったのか?

この時点での頼朝の立場は謀反人であるはず。これに味方したら朝廷によって討伐されるわけで、頼朝の寝首を掻く方が坂東武士にとっては利があるはずだ。

よって、頼朝自身が強大な武器を所有していない限り軍事政権の樹立は不可能であると考える。現代でいえば核ミサイルの保有ということになろう。当時の最強武器は弓矢であった。飛び道具である。弓矢で戦いに勝利するには相手を圧倒する矢数を打ち込むことである。

ましてや敵陣に飛んで行った矢は戻ってこない。矢数を掛けたら必勝しなければやがてその矢が自分たちに向かって飛んでくるのである。

頼朝は平家に勝利できるだけの矢数を揃えていたはずである。それがなければ親戚内でも血で血を洗う戦いをしていた坂東の武士たちがついてくるはずがないと考えるがいかがであろう。

では、いったいどうやって?・・・その2へ続く

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