まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

縄文土器は作者不詳の美術作品

~縄文の詩~②


 「縄文土器は作者の高度な精神文化を現した美術品である。」ことを世に知らしめた人物が二人います。
 その一人が岡本太郎。岡本太郎氏に師事し、彼を今の世に正しく伝えようと活動されている石井氏は次のように語っています。

 縄文文化というと、今では誰もが疑うことなく日本文化の源流だと思っている。ところが、つい50年前までは日本美術史に縄文は存在しなかった。縄文の美を再発見し、日本美術史を書き換えたのは岡本太郎である。というと、嘘のような話に聞えるかもしれないが、それまで、縄文について美術的な視点からの発言は誰もしていなく、太郎が1952年に『みずゑ』誌上で「四次元との対話――縄文土器論」を発表するまで、縄文土器や土偶は美術品ではなく工芸品という扱いを受けていた。

岡本太郎と縄文の出会いは、東京国立博物館の一室。考古学の遺物として陳列されていた異様な形の縄文土器に偶然出くわして、彼はこう叫んだ。

「なんだこれは!」

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岡本太郎はパリのソルボンヌ大学で、フランス民族学の父とも称されるマルセル・モース門下で民族学を修めており、芸術家であり民族学者でもある太郎が、火焔型土器の写真を載せた「縄文土器論」で提示したのは、考古学的な解釈ではなく、縄文土器の造形美、四次元的な空間性、そして、縄文人の宇宙観を土台とした社会学的、哲学的な解釈である。

それが結果的に各方面に大きな衝撃を与え、建築やデザイン界を中心に縄文ブームがわきおこった。そして、弥生土器や埴輪を始まりとする「正統な」日本の伝統をくつがえし、以後、原始美術として縄文土器は美術書の巻頭を飾るようになり、日本美術史が書き換えられたのだ。今に続く縄文ブームの火付け役は、岡本太郎なのであった。

京都造形芸術大学非常勤講師 石井 匠のコラムより

 もう一人仙台で宗左近記念仙台縄文藝術館に名前のある「宗左近」氏である。
ここの展示は縄文土器を作者不詳の作品としていて、ゆったりとその空間を楽しめるようにそこかしこに椅子が置かれているといった美術館スタイルとなっていた。

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 彼はその著書『縄文物語』で
「日本人のルーツである縄文人の作った土器や土偶。その表情から、彼らの宇宙的な魂の叫びと祈りが聞こえます。宇宙的な魂の叫びと祈りこそが芸術の要諦であり、縄文土器は作者(縄文人)の芸術作品である。」と縄文芸術論を述べている。

 縄文土器を展示している博物館、資料館でも美術的な展示方法をするところがあり、自分の知っている範囲では浅間山縄文ミュージアムや岡谷美術考古館などです。かえすがえすも仙台宗左近記念仙台縄文藝術館が建物の老朽化を理由に消えてしまったことが残念でなりません。
 このような考え方や展示は考古学的には邪道とされるのでしょうが、縄文人の精神世界については、土偶が100年以上も研究されているのに何のために作られたか不明であるように考古学では解明できないと思って間違いないでしょう。従って、縄文土器を「遺物」として発表展示するだけでなく、各地に縄文美術館を創って、多くの人に見てもらって感じてもらう美術品としての展示を増やすことが縄文土器の作者に報いることになると思うのですがいかがでしょう。

一つひとつの土器、文様が伝えようとしている物語は異なる。

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