まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

宮城県加美町のこと

宮城県加美町にあった縄文藝術館

夜のニュースで宮城県加美町の花畑が紹介されていた。
加美町の名前を聞いて思い出した。

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「宋左近記念縄文藝術館」が正式名称。2年前に建物の老朽化と町の財政難で閉館してしまった。
ここは、詩人の宗左近氏が収集した縄文土器、石器の美術館。
だから、「縄文藝術館」。
かの岡本太郎は縄文土器を見て「芸術だ!」と叫んだとか。


1万年以上前に造られた作者不詳の芸術作品が展示されている。
藝術作品なので見方・感じ方は自由。たぶん宗左近氏によるタイトルが添えられている作品もあった。

宗氏の縄文に対する思いがパネルで掲示されている。

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氏の著書『縄文物語』より
「日本人のルーツである縄文人の作った土器や土偶。その表情から、彼らの宇宙的な魂の叫びと祈りが聞こえます。宇宙的な魂の叫びと祈りこそが芸術の要諦であり、縄文土器は作者(縄文人)の芸術作品である。」
これほどストレートな縄文芸術論に初めて出会った。

味噌蔵を改造した展示室では、縄文土器にこめられた縄文人のメッセージを感じられるように椅子が置いてありゆっくりと感じることができるように配慮されていた。

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 土器を作るということは、作者の魂(表現したいこと)をその意匠の中に永遠に閉じ込める作業であり、現代の私たちが言うところの芸術表現だ。

 焼き物は唯一無二のもの。移ろいゆく日々の中で焼成後の土器は永遠の姿を見せる。発掘によって掘り出された現在でもその姿は変わっていない。粘土をこねて器を作って焼くことを発見した縄文人たちは文様を残した。精神の表出である文様は複雑かつ個性的で、まるで抽象画だ。それもかなり高度な。縄文土器は現代の考古学で編年やら形式が語られるように同時期のトレンドが地域差を持って日本中に展開されている。似ているのである。

 土器づくりの主体は女性。集落に定住し、日々の生活を営んでいたのは女性を中心とした家族だった。男性は旅人。集落内での近親相姦を避けるためにある年齢を過ぎると集落を追い出される。縄文土器の形式において同時期のトレンドが地域差を持って現れるのはこの旅人が引き起こしている。(あくまでも個人の意見です。)

 古代日本の婚姻制度は通い婚であった。生まれた子供は母方の家で養育される。この点が現代の私たちに想像が至らず、歴史のミスリードが起きている。鎌倉時代まではこの制度が色濃く残っていた。(私はこの点をもって鎌倉時代前半までを「古代」と考えている。) 子供たちは母方で教育されるのである。当然、その家の物語を祖父母が語ることで歴史を学んで大きくなるのである。頼朝が幕府を鎌倉に開いたのは母方の歴史と深く結びついているはずと考える。(頼朝についてはそのうちまとめようと思う。)

話が逸れたが、縄文土器である。
縄文アーティストたちの作品を紹介しよう。

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コメント

  1. マック

    2021年6月 6日 (日) 21:20

    👍 博識 👏

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