まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

菊花石から根尾谷へ

今朝、通勤途中で時間が少しあったので近くのお寺に寄ってみた。
久里浜の長安寺という浄土宗のお寺だ。
本堂は屋根に立派な鴟尾がのっていて高さもあり本格的な様式である。
山門を入ると右手に石造の鳥居が目を引いた。鳥居をくぐって本社までの3メートルあまりの参道に石が敷いてあるのだが、その石の形状から構造物に使われていたものが解体されて敷石に再利用されている。小さな橋?のように見える。本社にはなんの扁額もかかっておらず、由緒も紹介がないので祭神は不明だが、学校の敷地を挟んで北側に八幡神社があるのでその関係のお社かと想像できる。
その隣に不動堂があり、丸山不動と呼ばれていて横須賀市の文化財に指定されているとの表示があった。


その左隣に庫裏の玄関があり、その入り口に置いてある石に目が止まった。石の中で菊の花が見事に咲いているではないですか。石の中の模様といえば化石?と思って調べたところ、どうやらこの石は「菊花石」と呼ばれている物らしいとわかった。設置者のお寺に聞いた訳ではないがそれを前提に少し調べてみた。

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調べてみると
この石には結構壮大な地球の歴史に関わる物語があった。
この石は岐阜県本巣市にある山から産出されたものと思われる。

壮大な歴史とは
 この山の成り立ちが、パンゲア大陸という1つの超大陸であった3億年前、熱帯地域のテチス海近傍の海底プレートのホットスポットにより出来た海底火山(伊吹海山列)が3億年前に出来て、2億5千年前に浅瀬のサンゴ礁の堆積が進み、さらにマントルの流れに沿って深海を北上し、日本列島に合流して現在の位置にあるということです。
同様の方法で海底火山から出来た石灰岩の山が、北から飛騨高山、郡上八幡、根尾谷、山県、本巣、揖斐、春日、伊吹山、金生山と続いています。それで、この続く山列を美濃海山列とも呼ばれています。なんと、プレートテクトニクス=大陸移動説ではありませんか!んとすると、北アルプスとは山の成因が全く違うことになります。地図で確認してみると。


そして、この菊花石はというと

菊花石の成り立ちからわかった事(菊花石物語 www.kikkaseki.com より)
 根尾谷は大垣駅から樽見鉄道で約1時間トンネルと鉄橋が続く山あいにあります。この狭い谷合いにある根尾谷断層と菊花石が国の特別天然記念物に指定されています。菊花石は昭和16年、初鹿谷の16万平方メートルが地域指定されました。根尾谷断層は明治24年に内陸部直下形地震としては最大級のM8の濃尾地震が根尾谷を震源地として起こったのです。

この地震で水鳥地区に上下段差6メートルの断層が出来たのです。根尾谷断層は昭和2年に国の天然記念物に指定され、更に昭和27年に菊花石とともに特別天然記念物に指定されました。現在、日本の地質に指定された特別天然記念物の一割が根尾谷にあります。

 一昔前までは奥美濃の地質は地学に疑問を投げかけていました。いくら研究しても結論が出せないので、ここを特異地(魔法の地)として放っておかれたのです。それは地質が逆転していたのです。中生代ジュラ紀の地質の上に古生代ペルム紀の地質があったのです。そして舟伏山、赤倉山、金生山、魚金山、伊吹山などの頂上付近に石灰岩が厚い層となってあり、その石灰岩の中に古生代ペルム紀のフズリナや海百合の化石が入っているのです。この化石がはっきりとした時間 を示していました。

1970年代になって、やっと日本の研究者により石灰岩はここで出来たのではなく遠い赤道付近の海で海底火山が海山を作り出し、海山の回りに珊瑚礁を発達させながらプレート移動により運ばれてきた事が分かり出してきたのです。それは、天動説から地動説に変わる地学の激変だったので、プレート移動説と従来の説との激論が長い間繰り広げられたのです。その結果、地学は疎まれて教育課程からはずされたのです。

この菊花石は

古生代に出来た石灰岩の山が岐阜県には、北から飛騨高山、郡上八幡、根尾谷、山県、本巣、揖斐、春日、伊吹山、金生山と続いています。それで、この続く山列を「美濃海山列」とも呼んでいます。

これらの石灰岩の山は、古生代ペルム紀に繁栄した、原生動物のフズリナ、棘皮動物の海ユリ、巨大な貝のシカマイヤなどの生物がつくった化石から出来ています。そして、北にいく程、化石の年代が古くなっています。

こうした石灰岩は、南の暖かい海の環礁で出来た珊瑚礁であり、これらの珊瑚礁がプレート移動により飛騨高山、郡上八幡と北のほうから順に運ばれて来て押し上げられたのです。そして海のない岐阜県に古代の海の恵みを与えています。

海底には、プレートの境目、海嶺があります。そこからマグマを噴出させて海洋プレートを新たに造り出し、マントル対流により海洋プレートを移動させています。地殻のうすい海洋プレートには、ホットスポットという地球内部からのマグマの噴出口があります。地球の活動が激しくなるとホットスポットから大量のマグマを噴出させて海底火山をつくります。

現在でもホットスポットの活動でハワイ島がつくり出されています。美濃海山列は、古生代赤道付近のテチス海に出来た、ホットスポットの海底火山がつくり出したと考えてられています。ホットスポットの活動が幾度も繰り返され、そしてプレートが移動していたのでホットスポットを通過した火山は、海山となって大平洋上に一列に並ぶ海山列をつくったのです。そして、古生代の暖かい浅い海面下に巨大な珊瑚礁の環礁を形成したのです。

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海洋プレートは、数千万年という時間をかけて移動して最後に大陸プレートの下に沈み込んで行きます。しかし、全てが沈み込まず、海洋プレートの一部や海底の土砂や堆積物、海山などが大陸プレートの上に積み重なって日本列島の基盤を形成したのです。これを「付加体」といいます。

古生代の珊瑚礁をのせた海山は、ジュラ紀の頃に大陸プレートの端にたどり着いた頃、まだ、日本の海溝は今ほど深くなく、海底堆積物などを大陸プレートにはり付けて美濃帯を形成したのです。そして、海底から2千メートル以上、高く海底からそびえていた海山は押し上げられて地上に高い石灰岩の山を残したのです。

伊吹山や舟伏山の珊瑚礁は、プレートが押しつける巨大な圧力をまぬがれたので、化石の状態が良いのです。それに比べ、海底の堆積物やチャートなどは、大陸プレートなどの土砂と混ざり合い、押し付けられて複雑な地層を川岸に造り出しています。

そして、

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約7千万年前、白亜紀の終わり頃から地球が活動期に入り、地球規模で造山活動が起こりました。付加体として乗り上げた赤倉山や舟伏山からもこの頃にマグマが噴出したと考えています。

最初、その噴出は大量のマグマを噴出させ大量の石灰岩を溶かしたのです。マグマの熱に溶かされた石灰岩は、ドロマイト石灰岩に変化して大量のドロマイト鉱床を美山周辺に作りだしました。

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そして、最後に山の頂上付近から噴出したマグマに花が出来きました。それは、マグマの量が僅かであり、それが石灰岩を絶妙に溶かし込んだのです。

マグマに溶かされた石灰岩は飽和状態となり、山頂から流れ下って行きます。このマグマの流れが樋(とゆ)の様に続いていたので「樋」(ひ)と呼んでいます。

この樋の流れの中に母岩が形成されているので、全ての母岩に流れを持っています。それは川のように流れたので、母岩の皮目に水の流れを彷彿させる痕跡を残しています。

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皮目の上にはマグマが巻き込むような流れを残し、母岩の下には擦れ合った痕跡を残しているのです。皮目と母岩の形を見ると母岩の資質がわかります。

マグマの流れが止まると、マグマの中の石灰質の粒子が上にあがっていきます。粒子が集まり花となる核を形成するのです。

そして冷えるとまだ軟らかいゲル状のマグマの中の核が圧縮され弾けます。弾けた一つ一つの粒子が波動を広げるのです。その広がる波動に沿って石灰質の組織が揃うので花になるのです。

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マグマが軟らかい時に弾けて広がったので、多くの花の花弁が乱れています。マグマと石灰質の比率、母岩の大きさ、母岩の形、核の形成、核の並びなどにより、菊花石の花を作り出しています。

そしてさらに、この花と母岩にて美しい色彩が入って瑪瑙になったのです。それは、マグマに含まれていた鉱物質の作用と長い時の経過による、自然の贈り物として感謝しています。


小さな母岩や硬い母岩に小花が咲いています。小さな母岩は母岩の熱が早く冷えるので核の結合が少ないのです。そして小さな集合核は丸く集まり弾けて形の良い小花が出来るのです。また、硬い母岩は、石灰質の含みが少ないので、小花をつくっています。

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マグマに溶かし込まれた石灰質は、飽和状態の気泡となり火山灰の上を流れ下ります。

Img14流れが止まると、マグマの中で軽い石灰質の粒子が上にあがり、皮目の下や巻き込む層に沿って、粒子と粒子が合わさり核を形成します。

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更に核と核が合わさり合います。薄い母岩や小さな玉樋は早く冷えるので核の結合が少ない小さな集合核になります。

Img16そして、マグマが冷えると核を圧縮します。圧縮されると、核の中は押し合い角錐体になります。

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更に核が圧縮され核が圧縮限界を越えると、核が破裂して一つの粒子や核から波動を伸ばして花弁がつくられるのです。

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石灰質からなる母岩の中では波動が石灰質の組織を揃えて伸びるのです。石灰質が同質同色になった「ナス」と呼ばれる、総花母岩になります。

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硬く石灰質の少ない母岩の場合、波動がマグマの中に浮遊している石灰質を取り込み、花を形成するので、花と母岩の色彩がはっきりとするのです。

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母岩が軟らかいと弾けた核が花弁の中に同化してしまい、芯の無い花をつくっています。この芯を「素芯」といいます。

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硬い母岩の場合、広がる波動に核は押され小さな芯をつくっています。この芯をルーペで拡大して見ると核の集まりが見えてきます。この芯を「丸芯」といいます。

中硬の赤茶母岩は、硬さの妙があります。弾けた核の中が広がり、核の跡をリング状にしています。中にも弾け、外にも弾けて調和しているので、この芯を「和芯」といいます。

大きな花は大きな母岩や厚みのある母岩それと石灰質を多く含んだ母岩に咲いています。大きな母岩は、母岩の熱が長く続いて核の集合が多く集まり大きな核となり弾けるので大きな花となります。石灰質を多く含んだ母岩にも大きな核が出来て大きな花が出来るのですが、良い花になりません。

沢山の核が一カ所に集まり弾けた花をいいます。集まった核がそれぞれに花弁を伸ばすのです。その押し合いで花をつくっています殆どの花が合芯で出来て乱れていますが、押し合う芯を見れば核の集合がわかります。

大花よりも中花にはっきりとした多重芯の花を見ます。芯が何層にも集まり、その押し合いが互いに押し合って多重の芯をつくるのです。

この資料は石原宜夫氏作成のホームページより転載させていただきました。

URL:www.kikkaseki.com

  なんと久里浜長安寺の庭石は日本列島の成り立ちにさかのぼり、約7千万年まえの物語を私たちに知らせてくれるタイムマシーンだったのです。寄り道はしてみるものですね。

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