まんぼうひまなし

たまちょこと山本宏文の いま伝えたいこと。

~アンビエント旅日記~ その3 安曇野 5月13日~16日 


5月13日は65回目の誕生日。
あっちゃんが素敵なプレゼントを用意してくれた。
なんと「うかい亭」でのランチ。
やんごとなき方々を横目に舌鼓を打たせていただきました。

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そして、大和を15時に出発。南橋本でお墓参り。雨の中を圏央道ー中央高速経由で安曇野インターに着いた時には日もどっぷりと暮れ19時を過ぎていました。昼ごはんを贅沢したので夕食は丸亀製麺。おー長野は感染対策バッチリやってる。食事スペースの人数制限を徹底しているのか人手不足なのか3分に一人づつしか入店できず、店の外で15分ぐらい待つことに。お目当てのトマたまカレーうどんをすすり終わると20時近くになっていた。

 丸亀製麺に立ち寄ったため今宵の買い出しスーパーはベイシア堀金店久しぶりである。え?閉まってる20時閉店じゃん。雨のためカエルの大合唱も聞こえず(このルートは田んぼが少ない)。烏川を渡り左折すると目指すアンビエントへは一本道もうこの道に来ると帰ってきたなあという感じになる。

 チェックインして長旅の疲れで温泉にも入らず夢路へと・・・。
14日はまったり温泉三昧。

15日 ちひろ美術館&つばくろ。
 3月にきた時にはどちらも冬季休業中。美術館も蕎麦屋も冬眠するんだー。ちひろ美術館ではあっちゃんは絵本を読み耽り、私は昼寝。中庭の寝椅子で陽を浴びながらウトウトするはずが、前回来た時にはコロナ対策で椅子そのものが撤去されていたのだが、復活したら寝椅子ではなく椅子。家族できたお父さんの居場所がなくなってしまった。この場所はあえて寝椅子のはずだったのに(『僕が安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』(松本潤猛著)の書き始めは「絵は見なくてもいい」ー昼寝のできる美術館ー)。

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  仕方なく寝場所を求めて公園内をウロウロ。ちひろの電車が来てから公園としての佇まいが整っていてベンチも豊富に用意されている。しかし、ベンチにごろ寝はちょっとね。ありましたカフェの南東側の斜面。芝生に寝転び、目の前を燕が右に左に横切る場所が。燕は地上2、30センチを超高速で飛び反転してまた目の前へを繰り返し時々餌を捕獲するような仕草を見せる。スーパースローで撮影しなければわからないなあなどと思いながらウトウト。とりあえずミッションコンプリート。
 つばくろで定番山菜天ぷら、ジャンボ厚揚げ蕎麦に舌鼓を打たせていただいた。私たちの旅は昼ごはんをどこで食べるかでその日の行程が決まる。なので、今日は松川村周辺へ。今年はカエルの鳴き声が全体的に小さい。去年のカエルの鳴き声はこちら。


YouTube: 安曇野通信Vol.5 かえるの合唱

16日 250キロ先の自宅へ
 どのルートで帰宅しようか?実は直前まで決まっていなかった。朝のトイレでふと、山越えで上田方面へ出られる?検索してみると1時間40分ほどで望月へ到着できることがわかり、昼食はあっちゃんの恩師である石井亨先生奥様のおすすめ(実は亨先生は立科の別荘に20年来通われていて麓のグルメには精通されている)のおいしい豚肉をいただけるラフェスタに決定。
 松本盆地を北アルプスを背に横断。254号線で山中に後で知ったのだがこの道は「内村街道」と呼ばれている。あっちゃんの旧姓が「内村」だったので勝手に縁を感じつつ「鹿教湯温泉」行ったことがなかったので、温泉街を車で通過。和子バイパスーマルメロ街道ー国道142(旧中山道)ー佐久市望月へ。幅の狭い谷間の里山を抜け、峠越え、直線道路のトンネル、温泉街、ひらけた谷間の里山から千曲川の河岸段丘地帯へ。刻一刻と変化する景色を堪能。望月は宿場町でお店の隣に本陣、はす向かいに脇本陣がある。「望月」の地名は「この地は『延喜式』に掲載される信濃国16牧の中で最大の牧で都に献上する貢馬も信濃国全体で80疋のうち20疋を占めていたという最大の牧であった。この貢馬が15日に定められていたところから「望月」の名がついたとされている。」(ウキペディア抜粋)
 実はこの地「望月」は3回目の来訪。1回目は蓼科からのドライブで、2回目は恩師亨先生のために、望月の和菓子屋のもなかを手に入れようと、先生の別荘を探しに行った帰りに寄ったのだった。

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 デザートは「もうもう専科」のソフトと決まり、蓼科の山へ。「黒川の鉄平石」(谷の奥に巨大な採石場がある)の看板を横に一路「雨降峠」へ。南蓼科牧場に隣接するパーキング にある「もうもう専科」牧場の柵に隣接していて、「この柵から手や顔を出すと牛や馬に食べられます」などとは書かれていないがそれに近い注意書きがそこここに掲げられて危険な場所であるらしい。この雨降峠にはソフトアイスクリームを売っているお店が二つあり、もう一軒は「長門牧場」。どちらも牧場なのだが、もうもうの南蓼科牧場はそこから見える山々が浅間山、甲斐、上州の山々であるのに対して、長門牧場は北アルプスの山々で車で5分ほどの距離なのだが景色が大きく異なる。ここからは6月にツアー(あっちゃんが友人と旅行)でアンビエント蓼科に宿泊するのであいさつをしに行ったのだが支配人の鈴木夫妻は不在であった。そういえば女神湖周辺を探索していなかったことに気づき一周してみた。対岸に体育館があり大きなグラウンドまで整備されていて運動合宿の聖地といった趣である。冬は全面結氷させて車が走れるコースが整備されて、長野県警がパトカーの運転技術訓練場としても利用されていると鈴木さんから教えていただいた。

 ここから里に降りるコースは二つ。大門街道を降りて原村方面へ行く道。ヴィーナスラインを降りて茅野方面へ行く道。今回はヴィーナスラインを選択。途中「北八ヶ岳ロープウエー」の看板を何回も見ながらその実態がわかっていなかったので、探索。その後イングリッシュガーデンで料金を調べ、仮面土偶の出土地である中ツ原遺跡を通って原村方面へ抜ける道があるか調べ、南諏訪インターへ。原村を抜けたところで見える八ヶ岳に感動。富士見高原方面へ走ると右に南アルプス。今日は曇っているので富士山は見えない。南アルプスと富士山のコラボ景色は小海線小淵沢ー甲斐小泉間の丘陵地からの展望が絶品だと思う。(アンビエント八ヶ岳高原に泊まると10分ほどでその地に到着することができる。)静岡とは反対側の山容になるが秀麗眉目だ。縄文人(縄文土器を作った人々)たちが富士山を背の目印にして諏訪湖へ向かった(ブラタモリ説)ことがよくわかる。
 しかし、最終日にこのような大旅程はいかがなものかと帰りの高速で反省(助手席で)。
19時過ぎに帰宅と相成りました。

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